逸話一覧
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- 〈武田信虎〉信玄は生涯、父と再会しなかった
- 〈武田信虎〉駿河から信玄の「目」を務めた
- 〈武田信虎〉81歳の長寿と勝頼との対面
- 〈尼子経久〉「謀聖」の異名
- 〈尼子経久〉「乞食経久」— 何でも人に与えた
- 〈尼子経久〉山陰山陽「十一カ国の太守」
- 〈尼子経久〉大内義興の上洛に従軍し船岡山合戦で戦った
- 〈尼子晴久〉祖父・経久の傀儡だった/不仲だった
- 〈尼子晴久〉47歳の急死 — 死因は毒殺?
- 〈尼子晴久〉晴久が死んだから尼子は滅んだ
- 〈山中鹿介〉品川大膳との一騎討ち(富田川「川中島」の決闘)
- 〈山中鹿介〉白鹿城撤退戦で殿軍、7度撃退
- 〈山中鹿介〉布部山の敗戦と殿軍
- 〈山中鹿介〉「厠から」の脱出劇
- 〈山中鹿介〉上月城の悲劇
- 〈山中鹿介〉長男は鴻池財閥の祖・新六幸元
- 〈宇喜多直家〉舅・中山信正を宴席で謀殺
- 〈宇喜多直家〉三村家親の狙撃 — 「日本初の鉄砲暗殺」
- 〈宇喜多直家〉美少年を使った穝所元常暗殺
- 〈宇喜多直家〉娘婿もろとも松田氏を滅ぼした
- 〈宇喜多直家〉金光宗高に言いがかりをつけ岡山城を奪った
- 〈宇喜多直家〉織田と毛利を渡り歩いた変節漢
- 〈宇喜多直家〉病床で秀吉に幼い秀家を託した
- 〈宇喜多直家〉没年は天正9年2月14日、ではない?
- 〈宇喜多秀家〉秀吉の「猶子」だった
- 〈宇喜多秀家〉宇喜多騒動の襲撃標的は秀家本人だった
- 〈宇喜多秀家〉西軍決起の「発案者」だった
- 〈宇喜多秀家〉敗走 — 伊吹山潜伏と薩摩落ち
- 〈小早川秀秋〉秀次事件に連座して丹波亀山を失った
- 〈小早川秀秋〉隆景が毛利を守るため機転で引き取った
- 〈小早川秀秋〉越前転封は懲罰、復領は家康の恩
- 〈小早川秀秋〉開戦と同時に東軍として参戦した
- 〈小早川秀秋〉岡山では酒色に溺れた暗君だった
- 〈小早川秀秋〉死因はアルコール性の肝疾患
- 〈大谷吉継〉病はハンセン病だった
- 〈大谷吉継〉佐和山で三成を三度諫めた
- 〈大谷吉継〉友情に殉じて負け戦に参じた
- 〈大谷吉継〉小早川の裏切りを予期し、600の兵で三度押し返した
- 〈大谷吉継〉湯浅五助が首を隠し、藤堂高刑が約束を守った
- 〈大谷吉継〉平塚為広と辞世を交換した
- 〈大谷吉継〉関ヶ原を前に「吉隆」と改名した
- 〈宇佐美定満〉野尻池溺死事件——謀殺か事故か
- 〈宇佐美定満〉琵琶島城主・宇佐美定満
- 〈宇佐美定満〉謙信政権の中枢重臣だった
- 〈宇佐美定満〉生年1489年・「75歳の老軍師」
- 〈甘粕景持〉川中島の殿軍で武田方に「謙信自らの殿軍か」と思わせた
- 〈甘粕景持〉謙信直属「七手組大将」で侍大将筆頭だった
- 〈甘粕景持〉御館の乱で景勝方についた
- 〈原虎胤〉飯田河原で福島正成を討ち取った
- 〈原虎胤〉志賀城攻めと小田井原の戦い
- 〈原虎胤〉戸石崩れでの奮戦
- 〈原虎胤〉法華信仰による追放と北条家出奔
- 〈原虎胤〉川中島の戦いで負傷して引退した?
- 〈原虎胤〉「虎胤の落とした城は補修がいらない」
- 〈原虎胤〉「美濃守」は馬場信春に受け継がれた
- 〈山県昌景〉「赤備え」は虎昌から継承した
- 〈山県昌景〉義信事件を「密告」した
- 〈山県昌景〉三方ヶ原の追撃と浜松城「空城計」
- 〈山県昌景〉長篠での壮絶な最期
- 〈内藤昌豊〉箕輪城代として西上野を統括
- 〈内藤昌豊〉三方ヶ原の戦いでの従軍と活躍
- 〈内藤昌豊〉長篠の殿軍と朝比奈泰勝による討死
- 〈真田信之〉犬伏の別れ — 親子が東西に分かれた
- 〈真田信之〉「信幸」から「信之」への改名は父との決別
- 〈真田信之〉「天下の飾り」と呼ばれた
- 〈真田信之〉「信義の人」「名君」だった
- 〈真田信之〉石田三成の書状を隠し持ち続けた
- 〈徳川秀忠〉関ヶ原「大遅参」は秀忠の失態
- 〈徳川秀忠〉家康が激怒し、対面も許さなかった
- 〈徳川秀忠〉武家諸法度は秀忠が作った
- 〈徳川秀忠〉「凡庸な二代目」だった
- 〈徳川家光〉「余は生まれながらの将軍である」宣言
- 〈徳川家光〉家光が「鎖国」を完成させた
- 〈徳川家光〉病弱の竹千代に家康が自ら薬を調合
- 〈徳川家光〉男色を好み、小姓を大名に取り立てた
- 〈徳川家光〉実の母は春日局だった(生母説)
- 〈徳川家光〉30万の大軍を率いて上洛した
- 〈片倉景綱〉摺上原の勝利は景綱の軍略
- 〈片倉景綱〉小田原参陣を「夏の蠅」の譬えで進言した
- 〈片倉景綱〉秀吉の「三春5万石」スカウトを辞退した
- 〈片倉景綱〉白石城攻めを景綱の調略が決めた
- 〈片倉景綱〉相馬氏に徳川方への帰属を説いた
- 〈片倉景綱〉「武の成実、智の小十郎」
- 〈片倉景綱〉墓標は一本杉——敵に墓を暴かれぬため
- 〈片倉重長〉後藤又兵衛を討ち取ったのは重長隊
- 〈片倉重長〉信繁の子・大八を「夭折した」と偽って守った
- 〈片倉重長〉父・景綱の叱責「一軍の将が自ら刃を交えるとは」
- 〈片倉重長〉美男子すぎて小早川秀秋に付け回された
- 〈片倉重長〉少年時代、秀吉から羽織を拝領した
- 〈鬼庭綱元〉父の仇・窪田十郎を赦して家来にした
- 〈鬼庭綱元〉香の前拝領・その2 — 伏見屋敷を固辞した代償
- 〈鬼庭綱元〉香の前拝領・その3 — 碁を打ったのは実は政宗
- 〈鬼庭綱元〉出奔の動機 — 引き抜き警戒か、香の前か
- 〈鬼庭綱元〉「鬼が庭にいては縁起が悪い」と秀吉が改姓させた
- 〈鬼庭綱元〉伊達三傑 —「武の成実、智の景綱、吏の綱元」
- 〈原田宗時〉小手森城攻め・摺上原の戦いでの武功
- 〈原田宗時〉後藤信康との決闘騒動と和解
- 〈原田宗時〉金の鎖で大太刀を背負った
- 〈原田宗時〉葛西大崎一揆の鎮圧で活躍した
- 〈原田宗時〉死後、信康が遺愛の大太刀を拝領した