〈宇喜多秀家〉西軍決起の「発案者」だった

石田三成が大谷吉継に協力を求める前の慶長5年7月1日、秀家が豊国社で早くも出陣式を行っていたことを根拠に、秀家を西軍決起の最初期からの中心人物とみる説がある。高台院側近の東殿局が出陣式に代理出席していた点も注目されるが、決定的な史料はなく諸説の段階。

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