〈徳川家光〉男色を好み、小姓を大名に取り立てた
堀田正盛・酒井重澄ら小姓出身者の異例の昇進は事実で、酒井重澄が「病気療養と称して屋敷に籠もる間に子を4人もうけた」ことが勘気に触れて改易された事件(1642)も記録に残る。だが「男色関係」を明記する確実な一次史料は乏しく、坂部五左衛門斬殺譚など個別の逸話の多くは後世の随筆・逸話集が初出である。
堀田正盛・酒井重澄ら小姓出身者の異例の昇進は事実で、酒井重澄が「病気療養と称して屋敷に籠もる間に子を4人もうけた」ことが勘気に触れて改易された事件(1642)も記録に残る。だが「男色関係」を明記する確実な一次史料は乏しく、坂部五左衛門斬殺譚など個別の逸話の多くは後世の随筆・逸話集が初出である。