〈徳川秀忠〉関ヶ原「大遅参」は秀忠の失態

本戦(9月15日)に間に合わなかったこと自体は史実。だが『浅野家文書』の家康書状によれば当初の任務はそもそも「信州平定」で、戦略変更を伝える上洛命令の使者は利根川流域の豪雨で大幅に遅延、受領は9月8日だった(森忠政宛秀忠書状)。主因は家康側の使者遅延と天候・道路事情であり秀忠個人の失態とは言い難い、が渡邊大門・笠谷和比古らを含む近年の趨勢(当サイト真田昌幸ページと同判定)。「失態」像は司馬遼太郎『関ヶ原』などの小説で定着したもの。

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