〈片倉景綱〉「武の成実、智の小十郎」
伊達成実と並ぶこの並称は同時代史料に直接見えず、江戸期の家譜・逸話集を通じて定着した評語。ただし「智」の中身は文書で裏付けられる——政宗発給の外交文書に添えられた無数の副状、蘆名盛隆から景綱宛の書状(推定天正11年)、家康からの多数の書簡。諸勢力が景綱を「伊達への窓口」と認識していたことは史実である。
伊達成実と並ぶこの並称は同時代史料に直接見えず、江戸期の家譜・逸話集を通じて定着した評語。ただし「智」の中身は文書で裏付けられる——政宗発給の外交文書に添えられた無数の副状、蘆名盛隆から景綱宛の書状(推定天正11年)、家康からの多数の書簡。諸勢力が景綱を「伊達への窓口」と認識していたことは史実である。