〈山県昌景〉長篠での壮絶な最期

天正3年5月21日の戦死は『信長公記』『当代記』『甲斐国供養帳』(「未ノ刻」)で確実。平山優氏は追撃戦の最中の戦死とみる。だが「銃弾で両腕を撃ち抜かれても采配を口に咥えて指揮した」という描写は後世の逸話で史実性は確認できない。首級を家臣・志村又左衛門が持ち帰った話は『長篠合戦図屏風』に描かれる伝承で、『信長公記』が討ち取った首の筆頭に昌景を挙げることとの間には緊張関係がある。

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