〈宇佐美定満〉野尻池溺死事件——謀殺か事故か

永禄7年(1564)7月5日の長尾政景水死は複数記録が一致する史実。米沢藩の公式記録『謙信公御年譜』は「舟遊び中、酒に酔って遊泳し溺死した」と事故として記し、定満の同船には触れるが謀殺とは記さない。「定満が舟底の栓を抜き刺し違えた」とする謀殺譚の初出は『北越軍談』系軍記で、事件から100年以上のちに現れた(乃至政彦)。上杉家自身の記録が事故としている点が、この説の後発性・創作性を物語る。ほかに下平吉長犯行説(『穴沢文書』)、遺骸の刀傷伝聞から謙信粛清を想定する説もある。

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