〈小早川秀秋〉秀次事件に連座して丹波亀山を失った
文禄4年(1595)の亀山10万石収公は文書で確認できる史実。ただし秀俊が秀次に加担した形跡はなく、「秀吉血縁外の後継候補を外す粛清」か「小早川相続に伴う所領返上」か、意味づけは研究者間で分かれる。同年中に30万7千石を相続しており、トータルでは大幅加増だった。
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