〈尼子経久〉山陰山陽「十一カ国の太守」
呼称は『雲陽軍実記』など軍記由来。近年の研究では実質的支配は出雲・隠岐・伯耆・石見・備後(部分的)の5カ国程度で、他は国人との流動的な従属関係を含めた最大版図。制度的な最盛期はむしろ孫・晴久の代(1552年に8カ国守護補任)とされる。勢力圏の広がり自体は史実。
呼称は『雲陽軍実記』など軍記由来。近年の研究では実質的支配は出雲・隠岐・伯耆・石見・備後(部分的)の5カ国程度で、他は国人との流動的な従属関係を含めた最大版図。制度的な最盛期はむしろ孫・晴久の代(1552年に8カ国守護補任)とされる。勢力圏の広がり自体は史実。