〈内藤昌豊〉箕輪城代として西上野を統括

城代就任と統括は史実。ただし通俗書の「1566年の攻略直後から城代」は誤りで、当初の在番は春日虎綱・真田幸綱、次いで浅利信種。昌秀の着任確認は浅利戦死後の元亀元年(1570)4月頃。丸島和洋氏の在城定書研究により、箕輪城代が単なる城番でなく西上野支配の統括職だったことが明らかにされている。

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