〈大谷吉継〉小早川の裏切りを予期し、600の兵で三度押し返した

大谷隊が藤堂・京極隊や寝返り諸隊と交戦して壊滅したことは確実で、東軍の監視役・奥平貞治がこの戦闘で致命傷を負ったことも傍証。だが「600で三度押し返した」の数字と場面は『関原軍記大成』系軍記の記述。さらに白峰旬氏は一次史料から、秀秋の離反は開戦とほぼ同時で「正午の裏切り」も「問鉄砲」も後世の創作とする——劇的場面の時系列自体に再考が迫られている。

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