〈真田信之〉「信義の人」「名君」だった

要衝松代を任され、90歳まで幕政の重石として慰留され、死去時に領民の出家が続出したという記録など、江戸期の記録に一定の裏付けがある。馬丁・水出大蔵の献策を採用し「戦場では身分の区別なく意見を聞くべきだ」と語った逸話(平山2016)も知られるが、言行録系の記事は細部に脚色があり得る。

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