〈原虎胤〉戸石崩れでの奮戦

天文19年(1550)の砥石城攻め失敗は武田側の記録『高白斎記(甲陽日記)』で確認でき、横田高松ら有力足軽大将の討死も諸記録が一致する。虎胤自身の働きや、息子の横田康景(原彦十郎)の武勇談は『甲陽軍鑑』系(依存度・高)。なお高松は「虎胤の娘婿」ではなく「虎胤の長男が高松の娘婿(婿養子)」が正しい関係で、ここも混同されやすい。

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