〈山県昌景〉義信事件を「密告」した
義信事件と虎昌の永禄8年10月15日処刑は『甲斐国過去帳』や信玄自身の書状(『尊経閣古文書纂』)で確認できる史実。だが「昌景が血族の関与を承知の上で信玄に訴え出た」という劇的な逸話は『甲陽軍鑑』のみが記す。事件直後の改姓・部隊継承の事実から逆算して作られた説明の可能性もあり、「忠と情の板挟み」という物語性の強さに注意したい。
義信事件と虎昌の永禄8年10月15日処刑は『甲斐国過去帳』や信玄自身の書状(『尊経閣古文書纂』)で確認できる史実。だが「昌景が血族の関与を承知の上で信玄に訴え出た」という劇的な逸話は『甲陽軍鑑』のみが記す。事件直後の改姓・部隊継承の事実から逆算して作られた説明の可能性もあり、「忠と情の板挟み」という物語性の強さに注意したい。