〈片倉景綱〉白石城攻めを景綱の調略が決めた
慶長5年(1600)7月の白石城攻略は『貞山公治家記録』等で確実。ただし総指揮は政宗自身で、「景綱の調略・軍配が落城を導いた」という個別の手柄話は片倉家側の記録による部分が大きい。旧伊達領で地理を熟知していたことが速攻の背景にあった。
慶長5年(1600)7月の白石城攻略は『貞山公治家記録』等で確実。ただし総指揮は政宗自身で、「景綱の調略・軍配が落城を導いた」という個別の手柄話は片倉家側の記録による部分が大きい。旧伊達領で地理を熟知していたことが速攻の背景にあった。