逸話一覧
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- 〈小西行長〉先鋒一番隊、漢城一番乗りと平壌占領
- 〈小西行長〉沈惟敬との共謀
- 〈小西行長〉高山右近を匿った
- 〈小西行長〉「切腹拒否」— キリシタンゆえ自害せず斬首された
- 〈大野治長〉関ヶ原で東軍として戦った
- 〈大野治長〉冬の陣の講和をまとめた
- 〈大野治長〉味方の主戦派に闇討ちされた
- 〈大野治長〉千姫を脱出させ、助命嘆願を託した
- 〈大野治長〉現代研究による再評価
- 〈大野治長〉「手前の覚悟比類なし」と称えられた最期
- 〈大野治胤〉猪熊事件への連座で追放された
- 〈大野治胤〉樫井の戦いに治胤はいなかった
- 〈木村重成〉豊臣姓を下賜された
- 〈木村重成〉若江で井伊直孝隊と激突し討死
- 〈木村重成〉「残念さん」参拝ブーム
- 〈後藤基次〉「奉公構」で再仕官を妨害された
- 〈真田守信〉「京都で石合戦死亡」の記録が存在する
- 〈真田守信〉仙台藩士「片倉守信」としての人生
- 〈真田守信〉当信寺に姉・阿梅と墓が並ぶ
- 〈長宗我部信親〉信長を烏帽子親とする元服と偏諱「信」
- 〈長宗我部信親〉戸次川の奮戦——長刀で8人、太刀で6人
- 〈長宗我部信親〉仙石秀久の強行渡河が敗因
- 〈長宗我部信親〉雪蹊寺の墓と「信親木像」
- 〈長宗我部親和〉香川信景の養嗣子となり「五郎次郎」を名乗った
- 〈長宗我部親和〉四国攻めで香川氏は改易・没落した
- 〈長宗我部親和〉次男ながら家督候補から外され、盛親が指名された
- 〈長宗我部親和〉辞世も肖像もなく、「親政」と誤記され続けた
- 〈一条兼定〉全国でもほぼ唯一の「公家大名」だった
- 〈一条兼定〉義父・大友宗麟を頼って豊後へ
- 〈一条兼定〉キリシタン受洗「ドン・パウロ」(1575)
- 〈一条兼定〉旧臣・入江左近による暗殺未遂
- 〈一条兼定〉戸島の信仰生活とヴァリニャーノの感嘆(1581)
- 〈長宗我部国親〉土佐国分寺金堂を再建した
- 〈波多野秀治〉奪われた八上城を7年ごしに取り戻した
- 〈波多野秀治〉信長に太刀と馬を献上した
- 〈波多野秀治〉1年半の兵糧攻めと城内の飢餓
- 〈波多野秀治〉磔刑は6月4日か、8日か
- 〈赤井直正〉正月の年賀の席で叔父を殺害し、黒井城を奪った
- 〈赤井直正〉「悪右衛門」の「悪」は悪人の意ではない
- 〈赤井直正〉但馬に攻め込み、竹田城を落とした
- 〈赤井直正〉武田勝頼と連携して信長に敵対した
- 〈赤井直正〉『甲陽軍鑑』が「名高き大将衆」筆頭に挙げた
- 〈三木直頼〉京極被官の一国人から、実力で戦国大名にのし上がった
- 〈三木直頼〉「腐った魚」にぼやいた書状
- 〈三木直頼〉喪中の江馬氏に配慮し、能興行を取りやめた
- 〈三木直頼〉東濃出兵と酒樽50の御礼行脚
- 〈三木直頼〉直頼の基盤が三代で飛騨統一に届き、そして滅んだ
- 〈伊東義祐〉出家からの逆転 — 御家騒動を生き抜き当主へ
- 〈伊東義祐〉鐘銘「日薩隅三州大守藤原義祐朝臣」(伝)
- 〈伊東義祐〉飫肥をめぐる島津豊州家との80年戦争
- 〈伊東義祐〉「伊東崩れ」— 家臣の連鎖離反と佐土原放棄
- 〈伊東義祐〉孫・伊東マンショ — 豊後落ちの少年がローマへ
- 〈伊東義祐〉三男・祐兵による飫肥再興
- 〈伊東義益〉「隠居」した父が実権を握り続けた二頭政治
- 〈伊東義益〉土佐一条家からの輿入れ
- 〈伊東義益〉「浮舟城」の若き城主
- 〈田原親賢〉養子・親虎を受洗ゆえに廃嫡した
- 〈田原親賢〉耳川の戦いの総大将だった
- 〈田原親賢〉敗戦責任で失脚し、所領を失った
- 〈田原親賢〉改易後も義統から離れなかった
- 〈田原親賢〉佐賀関の戦いで銃弾に斃れた
- 〈立花道雪〉刀「雷切丸」は実在する
- 〈立花道雪〉輿に乗って戦場を指揮した
- 〈立花道雪〉「立花」姓を終生名乗らなかった
- 〈立花道雪〉7歳の誾千代に家督を譲った
- 〈立花道雪〉宗茂を口説き落として養子にした
- 〈鍋島直茂〉秀吉が直茂に国政を委任した
- 〈龍造寺隆信〉主家・少弐氏を滅ぼした下剋上
- 〈龍造寺隆信〉蒲池鎮漣の謀殺と赤星の人質処刑
- 〈龍造寺隆信〉肥満のため六人担ぎの駕籠で戦場に赴いた
- 〈有馬晴信〉ヴァリニャーノから直接受洗した
- 〈有馬晴信〉沖田畷で龍造寺隆信を破った
- 〈有馬晴信〉ポルトガル船グラサ号を爆沈させた
- 〈有馬晴信〉岡本大八に旧領回復詐欺で騙された
- 〈有馬晴信〉改宗の過程で領内の寺社を破壊した
- 〈有馬晴信〉領民の少年少女を「進物」として送ろうとした
- 〈島津豊久〉15歳・元服前で沖田畷に初陣した
- 〈島津豊久〉秀吉に「手柄之段比類無く候」と絶賛された
- 〈島津豊久〉遺体は見つからず、義弘は3年間探させた
- 〈相良義陽〉相良氏700年の球磨支配と『相良家文書』
- 〈相良義陽〉遺児たちと相良氏の存続 — 死は無駄ではなかった
- 〈秋月種実〉父の敗死と毛利への亡命
- 〈秋月種実〉休松の夜襲(1567)
- 〈秋月種実〉楢柴肩衝を献上して降伏
- 〈秋月種長〉父と共に島津方として豊臣軍に抵抗した
- 〈秋月種長〉日向財部3万石へ転封——当初の居所は串間
- 〈秋月種長〉垣見一直とは朝鮮以来の同僚だった
- 〈秋月種長〉西軍として大垣城三の丸を守備した
- 〈秋月種長〉内応の対価としての所領安堵——高鍋藩の出発点
- 〈秋月種長〉弟・高橋元種との生涯にわたる連携
- 〈大村純忠〉日本初のキリシタン大名になった
- 〈大村純忠〉横瀬浦を開港し、1年で焼かれた
- 〈大村純忠〉長崎を開港し、6つの町を造った
- 〈大村純忠〉寺社を破壊し、領民を強制改宗させた
- 〈大村純忠〉後藤貴明との30年戦争 — 養子玉突きの因縁
- 〈大村純忠〉天正遣欧使節を送った — 名代は甥のミゲル
- 〈有馬義貞〉名乗りの変遷 — 軍童丸→晴直→義直→義貞
- 〈有馬義貞〉弟・純忠の大村家入りは有馬氏の支配戦略
- 〈有馬義貞〉1562年、口之津を開港した
- 〈有馬義貞〉丹坂峠の大敗が没落の転換点になった