〈島津豊久〉遺体は見つからず、義弘は3年間探させた
山田有栄らが鞍つぼに血の溜まった豊久の馬を見つけ「戦死疑いなし」と判断した証言が『雑抄』(『旧記雑録後編』所収)に残る。討死の確証を得られなかった義弘は、押川公近に「三虚空蔵参り」と称して3年間安否を探索させた。首実検の記録も島津側にはない。
山田有栄らが鞍つぼに血の溜まった豊久の馬を見つけ「戦死疑いなし」と判断した証言が『雑抄』(『旧記雑録後編』所収)に残る。討死の確証を得られなかった義弘は、押川公近に「三虚空蔵参り」と称して3年間安否を探索させた。首実検の記録も島津側にはない。