〈大野治長〉味方の主戦派に闇討ちされた

慶長20年4月9日夜、大坂城楼門で襲撃され負傷したことは『森家先代実録』『大坂御陣覚書』『長澤聞書』など複数史料が記す。弟・治房の指嗾説が有力だが確証はなく諸説。和平派の治長が城内で命を狙われた事実は、豊臣家中の統制崩壊を示すと同時に、「治長が城内を専断支配していた」という通俗像への反証でもある。

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