〈赤井直正〉武田勝頼と連携して信長に敵対した

天正2年(1574)2月付で武田勝頼から直正への書状が現存する(『赤井文書』)。義昭─毛利─武田─本願寺の反信長ネットワークに、丹波の直正が組み込まれていた証拠である。ただし「信玄と直接同盟した」等の拡大解釈は俗説 — 確認されるのは信玄没後の勝頼との連絡のみ。

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