〈有馬義貞〉丹坂峠の大敗が没落の転換点になった

永禄6年(1563)、有馬・大村連合軍は丹坂峠(佐賀県小城市)で龍造寺隆信に大敗。『八代日記』永禄6年閏12月6日条は義貞の志岐氏への亡命を同時代的に記録する。「五州二島」からわずか10年余りで高来郡一郡へ転落した急激さは、有馬氏の広域支配が国衆連合の盟主権的なもので構造的に脆かったことを示す。

関連

〈有馬義貞〉丹坂峠の大敗が没落の転換点になった | デジタル城下町 お城図鑑