〈田原親賢〉養子・親虎を受洗ゆえに廃嫡した

公家・柳原家出身の親虎は天正5年(1577)受洗(洗礼名ドン・シマン)。親賢が奈多夫人と相談のうえ廃嫡したことはフロイスらが詳述する。ただし「狂信的な迫害者」像は要注意——親賢の否定的記述はほぼすべてイエズス会側史料に由来し、宣教師にとって彼は「布教の最大の敵」だった。神職の家の出として旧来の信仰と統治構造を守る立場からの反対と解しうる。初出はフロイス『日本史』・イエズス会日本通信。

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