逸話一覧
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- 〈有馬義貞〉受洗からわずか8か月余りで死去した
- 〈有馬義貞〉フロイスは「老練慎重かつ賢明」と評した
- 〈松浦隆信〉倭寇の頭目・王直を平戸に招いた
- 〈松浦隆信〉ザビエル来訪と布教許可(1550)
- 〈松浦隆信〉ヴィレラ追放と教会焼き討ち(1558)
- 〈松浦隆信〉宮ノ前事件(1561)
- 〈松浦隆信〉福田浦のポルトガル船を襲撃した(1565)
- 〈松浦隆信〉仏教の篤い保護者、キリスト教とは実利の距離感
- 〈松浦隆信〉「海のダイミョウ」——倭寇拠点を制圧し海を統べた
- 〈本山茂辰〉父・茂宗の代に土佐七雄最大の勢力を築いた
- 〈本山茂辰〉元親の姉との政略結婚
- 〈本山茂辰〉長浜の戦い——元親初陣との対決
- 〈本山茂辰〉朝倉城を自ら焼いて捨てた
- 〈安芸国虎〉「安芸五千貫」— 土佐東部最大の勢力
- 〈安芸国虎〉八流の戦いの敗北と家臣の内応
- 〈安芸国虎〉「城兵・領民の助命」と引き換えに自害した
- 〈後藤貴明〉大村家との「養子玉突き」
- 〈後藤貴明〉横瀬浦焼き討ちへの関与(1563)
- 〈後藤貴明〉全方位の合従連衡
- 〈後藤貴明〉実子と交換の養子縁組(1577)
- 〈後藤貴明〉武雄後藤氏の最大版図を築いた
- 〈後藤貴明〉等身大の木像が現存する
- 〈伊集院忠棟〉筆頭家老として政務を一手に取り仕切った
- 〈伊集院忠棟〉剃髪して「幸侃」となり、自ら人質として降伏し島津家を救った
- 〈伊集院忠棟〉秀吉から直々に肝付一郡を拝領し「御朱印衆」となった
- 〈伊集院忠棟〉石田三成と連携して島津領の太閤検地を推進した
- 〈北郷時久〉北郷氏は島津の分家である
- 〈北郷時久〉17歳で当主になった
- 〈北郷時久〉悔恨の社——兼喜神社
- 〈北郷時久〉三納平野で伊東残党300余を討つ
- 〈北郷時久〉徹底抗戦を主張し、降伏後は子2人を人質に
- 〈北郷時久〉孫・忠能が都城を取り戻した
- 〈相馬顕胤〉稙宗が「その勇邁比類なし」と賞賛した
- 〈相馬顕胤〉42歳での死
- 〈相馬顕胤〉相馬中村藩まで続く家の礎を築いた
- 〈相馬盛胤〉伊具郡(小斎・金山・丸森)の獲得は盛胤の事績 — 父・顕胤との混同を整理
- 〈相馬盛胤〉隠居後も第一線に立ち続けた
- 〈相馬盛胤〉相馬家の存続 — 盛胤の遺産として
- 〈芦名盛氏〉盛氏の代が蘆名氏の最盛期
- 〈芦名盛氏〉伊達晴宗・輝宗との同盟
- 〈芦名盛氏〉北条・武田と結ぶ遠交近攻
- 〈芦名盛氏〉人質だった盛隆を当主にした
- 〈芦名盛氏〉止々斎の文化 — 連歌・能楽・鷹狩・医学
- 〈芦名盛氏〉向羽黒山城は東日本最大級の山城
- 〈芦名盛氏〉死後わずか9年で蘆名氏滅亡
- 〈芦名盛興〉彦姫との婚姻は南奥羽二大勢力の同盟だった
- 〈芦名盛興〉二階堂盛義を降し、その子盛隆を人質に取った
- 〈大崎義直〉大崎氏は足利一門・斯波氏流の「超名門」だった
- 〈大崎義直〉家臣の反乱を自力で鎮圧できず、伊達稙宗に援軍を要請した
- 〈最上義光〉義姫、輿で戦場に乗り込み停戦させる
- 〈最上義光〉長谷堂城の戦い — 1,000人で2万を止めた
- 〈最上義光〉追撃戦で兜に銃弾を受けた
- 〈最上義光〉57万石への大加増 — 「家康に天下を取らせた男」
- 〈最上義光〉山形を作った名君 — 城下57町と最上川舟運
- 〈最上義守〉わずか2歳で最上宗家の家督を相続した
- 〈最上義守〉伊達の傀儡だったが、天文の乱に乗じて自立した
- 〈最上義守〉焼かれた立石寺を再建し、延暦寺の分燈を受けた
- 〈最上義守〉寒河江攻めで勢力回復を図った
- 〈最上義守〉将軍足利義輝に謁見し「御所」として遇された
- 〈最上義守〉義姫を伊達輝宗に嫁がせ、政宗誕生の「立役者」となった
- 〈最上義守〉義守の死が、義光の小田原参陣を遅らせた
- 〈白鳥長久〉永禄元年の上洛と飛鳥井家での蹴鞠
- 〈白鳥長久〉「最上家臣」ではなく独立領主——2010年発見の書状
- 〈戸沢政盛〉幼くして第20代当主となった
- 〈戸沢政盛〉関ヶ原で東軍に参加し、上杉方の東禅寺城を攻めた
- 〈戸沢政盛〉鳥居家との二重の縁組で家を守った
- 〈戸沢政盛〉新庄6万石への加増転封(1622)——最上氏改易の「後釜」
- 〈戸沢政盛〉新庄城と城下町をゼロから建設した
- 〈戸沢政盛〉56歳で実子・正誠が生まれ、戸沢の血筋が続いた
- 〈戸沢政盛〉政盛の「置き土産」——戸沢家は明治まで続いた
- 〈戸沢盛安〉家督相続は13歳 — 「18歳」は誤伝
- 〈戸沢盛安〉秀吉への謁見と4万4,000石の安堵
- 〈戸沢盛安〉小田原の陣中で急死した
- 〈斯波詮直〉「斯波御所」——足利将軍家に連なる家格
- 〈南部晴政〉南部氏最大版図そのもの
- 〈南部晴政〉将軍足利義晴からの一字拝領
- 〈南部晴政〉鹿角奪回戦の勝利
- 〈南部信直〉晴政の婿養子となったが、実子晴継の誕生で立場を失った
- 〈南部信直〉晴継急死後、「大評定」で当主に選ばれた
- 〈南部信直〉前田利家を取次に豊臣政権へ接近し、本領安堵を得た
- 〈南部信直〉九戸の乱——自力鎮圧を断念し、豊臣政権に鎮圧を要請した
- 〈南部信直〉死の直前の手紙は「ワカメが食べたい」だった
- 〈南部信直〉名護屋在陣中の「日本之つき合」書状
- 〈九戸政実〉鹿角奪回戦の功——晴政との協調
- 〈九戸政実〉偽りの降伏勧告と二の丸の撫で斬り
- 〈九戸政実〉三迫での処刑——「従容たる最期」
- 〈九戸政実〉政実の死をもって天下統一が完成した
- 〈安東愛季〉蠣崎氏を従え北方交易圏の盟主だった
- 〈安東愛季〉南部晴政との鹿角争奪戦に敗れた
- 〈安東愛季〉信長へ鷹を献上し、名刀を贈られた
- 〈安東実季〉「秋田」への改姓
- 〈安東実季〉秋田杉の運上 — 「木材大名」の顔
- 〈安東実季〉関ヶ原 — 最上義光の讒言
- 〈安東実季〉執念の系図編纂と和歌 — 幽閉30年の文化人
- 〈蠣崎慶広〉秀吉朱印状で蝦夷交易の徴税権を得た
- 〈蠣崎慶広〉家康の黒印状でアイヌ交易独占を公認された
- 〈蠣崎慶広〉「無高の大名」の発明と、その代償
- 〈蠣崎季広〉講和でアイヌとの100年戦争を終わらせた
- 〈甲斐宗運〉響野原の戦いで盟友・相良義陽を討った
- 〈甲斐宗運〉御船城を40年守った最前線の経営者