〈長宗我部信親〉仙石秀久の強行渡河が敗因

敗因が秀吉の持久指示に反した軍監・仙石秀久の渡河強行にあることは通説として動かず(当サイト仙石秀久ページと同判定)、元親の「後詰めを待つべし」という反対は『元親記』『土佐物語』の双方が伝える。軍議のやり取りの細部は諸説。なお天正11年(1583)の引田の戦いで元親・信親父子は秀久を破っており、「かつて自分たちが破った男の誤断で死ぬ」という皮肉な因縁がある。

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