逸話一覧
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- 〈徳川家光〉守袋に「二世権現、二世将軍」
- 〈片倉景綱〉19歳で9歳の梵天丸の傅役に抜擢された
- 〈片倉景綱〉政宗の脇腹を焼き串で「荒療治」した
- 〈片倉重長〉道明寺で後藤隊を破り「鬼の小十郎」と呼ばれた
- 〈片倉重長〉阿梅を継室(正妻)に迎えた
- 〈片倉重長〉薄田兼相も破った/真田・毛利の反撃で膠着
- 〈片倉重長〉44年の白石統治と家格「一家」
- 〈鬼庭綱元〉父・左月斎は殿軍を務めて討死した
- 〈鬼庭綱元〉家康にスカウトされ、破談後に餞別をもらった
- 〈鬼庭綱元〉文禄の役では名護屋で兵站と折衝を担った
- 〈鬼庭綱元〉政宗の四回忌の「当日」に死去した
- 〈鬼庭綱元〉66歳で宇和島藩10万石を立ち上げた
- 〈原田宗時〉18歳で名門原田家の城主になった
- 〈原田宗時〉政宗お気に入りの武将だった
- 〈原田宗時〉朝鮮出兵からの帰還途上、対馬で病死した
- 〈原田宗時〉政宗が折句の追悼歌六首を詠んだ
- 〈成田長親〉忍城の総大将として水攻めを凌いだ
- 〈成田長親〉水攻めは三成の失策だったのか
- 〈成田長親〉「敗けて開けた」のではない
- 〈成田長親〉「永三百貫 成田大蔵」— 同時代に残るほぼ唯一の記録
- 〈成田甲斐〉豊臣秀吉の側室だった
- 〈成田甲斐〉忍城は最後まで落ちなかった
- 〈本願寺顕如〉毛利水軍が兵糧を運び込んだ
- 〈本願寺顕如〉勅命講和を受け入れ大坂を退去した
- 〈本願寺顕如〉妻と七夕に和歌を詠み交わした
- 〈教如〉父に義絶され、二年後に赦免された
- 〈教如〉秀吉の「十年後に弟へ交代」案は実在した
- 〈教如〉家康の寺地寄進は本多正信の献策による
- 〈教如〉東国・美濃門徒との強い結びつき
- 〈教如〉利休の茶会に通い、古田織部に学んだ茶人だった
- 〈松永久秀〉「九十九髪茄子」を信長に献上した
- 〈松永久秀〉多聞山城は時代を先取りした名城だった
- 〈松永久秀〉「梟雄・三悪人」像はこうして作られた
- 〈三好長慶〉江口の戦いで細川政権を打倒した
- 〈三好長慶〉将軍を二度追放し、二度とも殺さなかった
- 〈三好長慶〉信長より早くキリスト教の布教を認めた
- 〈三好長慶〉死は約2年間、秘匿された
- 〈三好三人衆〉将軍義輝を殺したのは久秀ではない
- 〈三好三人衆〉本圀寺の変 — 義昭をあと一歩まで追い詰めた
- 〈三好三人衆〉友通は淀城の堀で、組み討ちの末に死んだ
- 〈細川晴元〉13歳で挙兵し「もう一つの幕府」を作った
- 〈細川晴元〉三好元長(長慶の父)を一向一揆で滅ぼした
- 〈細川晴元〉山科本願寺を焼き討ちした
- 〈細川晴元〉江口の戦いで家臣に政権を奪われた
- 〈細川晴元〉将軍義輝に二度置き去りにされた
- 〈細川晴元〉普門寺に幽閉されて死んだ
- 〈細川晴元〉武田信玄・本願寺顕如と「義兄弟」
- 〈細川幽斎(細川藤孝)〉本能寺の変で光秀の誘いを拒絶した
- 〈細川幽斎(細川藤孝)〉田辺城の勅命開城 — 歌が城を救った
- 〈細川幽斎(細川藤孝)〉古今伝授の正統継承者だった
- 〈細川幽斎(細川藤孝)〉和歌・連歌・茶・能・囲碁… 万能の教養人
- 〈細川忠興〉ガラシャを味土野に幽閉した
- 〈細川忠興〉ガラシャの最期 — 人質を拒んで死んだ
- 〈細川忠興〉長男を廃嫡し、次男に切腹を命じた
- 〈京極高次〉本能寺の変で明智方に付き、長浜城を攻めた
- 〈京極高次〉大津籠城で西軍1万5千を足止めした
- 〈京極高次〉同時代人が「前代未聞」と驚いた
- 〈京極高次〉開城後に高野山へ上り、家康が若狭一国を与えた
- 〈京極高次〉家康から「生鮭の礼状」を受け取った
- 〈京極高次〉高次・初夫妻はキリシタンだった
- 〈京極高次〉妻・初が大坂の陣で豊臣・徳川の調停役を務めた
- 〈京極マリア〉受洗直後に夫が急死し「神罰」と騒がれた
- 〈京極マリア〉40日間説教を聞き続けて受洗した
- 〈京極マリア〉「京極マリア像」の正体
- 〈京極高吉〉浅井氏への従属 — 下剋上の逆転関係
- 〈京極高吉〉兄高延との家督争いと追放
- 〈京極高吉〉足利義昭擁立への尽力
- 〈京極高吉〉高次の人質差し出しと「信長の庇護」
- 〈京極高吉〉1581年、安土での夫妻そろっての受洗
- 〈京極高吉〉受洗数日後の急死と「神仏の罰」の風聞
- 〈京極高吉〉「信長の野望」での最低クラス評価
- 〈足利義昭〉興福寺からの脱出劇
- 〈足利義昭〉「御父織田弾正忠殿」と副将軍打診
- 〈足利義昭〉秀吉時代の厚遇——1万石・准三后・御伽衆
- 〈足利義輝〉最期に自ら武器を取って奮戦した
- 〈足利義輝〉大名間調停で将軍権威を再興した
- 〈足利義輝〉信長・謙信らが上洛して謁見した
- 〈丹羽長秀〉安土城普請の総奉行
- 〈丹羽長秀〉織田家臣初の国持大名
- 〈丹羽長秀〉御馬揃えで一番入場
- 〈丹羽長秀〉本能寺の変時、四国渡海の直前だった
- 〈塙直之(塙団右衛門)〉本町橋の夜戦で蜂須賀陣を破った
- 〈塙直之(塙団右衛門)〉樫井の戦いで討死した
- 〈池田恒興〉信長の乳兄弟だった
- 〈池田恒興〉犬山城を電撃奪取して開戦の口火を切った
- 〈池田恒興〉長久手で嫡男・娘婿とともに戦死した
- 〈池田恒興〉娘婿・森長可は死を覚悟して中入りに参加した
- 〈池田輝政〉「輝政」は最晩年の名だった
- 〈池田輝政〉長久手で父兄を同日に失い21歳で家督
- 〈池田輝政〉現存する姫路城大天守を建てた
- 〈堀秀政〉13歳で信長の小姓、若くして奉行に抜擢
- 〈堀秀政〉本能寺の変のとき、備中の秀吉陣にいた
- 〈堀秀政〉賤ヶ岳で柴田勢を撃退、家康が「比類なき儀」と賞賛
- 〈堀秀政〉長久手・桧ヶ根で徳川方先鋒を撃破した
- 〈佐久間信盛〉信秀時代からの最古参で、信長の家督相続を支えた
- 〈佐久間信盛〉刀根坂の「口答え」事件
- 〈佐久間信盛〉19ヶ条の折檻状 — その中身
- 〈荒木村重〉摂津一国の支配者だった
- 〈荒木村重〉有岡城は日本最古級の「惣構」だった
- 〈荒木村重〉黒田官兵衛を土牢に幽閉した