〈本願寺顕如〉勅命講和を受け入れ大坂を退去した

天正8年(1580)閏3月、正親町天皇の勅使(仲介の中心は前関白・近衛前久)による講和を受諾し、誓紙を朝廷に提出、4月に紀伊鷺森へ退去した。『信長公記』、本願寺文書、公家日記が一致する。勅命講和は事実上信長側が演出した停戦装置とみるのが一般的な理解である。

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