〈教如〉父に義絶され、二年後に赦免された

義絶の事実と、本能寺の変後の天正10年(1582)6月27日の赦免、それが母・如春尼と弟・顕尊の朝廷工作によることは文献で確認できる。「義絶は信長の目を逸らす顕如の芝居」とする説もあるが、大坂拘様以後の家臣団分裂の深刻さから、実質的な父子対立と見るのが現在の主流(大桑斉2013、神田千里2020)。教如側近の下間頼龍らは赦免後も許されず、この対立構造が東西分裂の火種になった。

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