〈細川幽斎(細川藤孝)〉田辺城の勅命開城 — 歌が城を救った
慶長5年(1600)、約500人で籠城した幽斎に対し、八条宮智仁親王の開城勧告、幽斎の謝絶と『古今集証明状』の進上、勅使(三条西実条・中院通勝・烏丸光広)派遣による講和(9月13日開城)は『舜旧記』『時慶記』等の公家日記で裏付けられる。古今伝授の断絶を恐れた後陽成天皇の勅命という経緯も史実である。
慶長5年(1600)、約500人で籠城した幽斎に対し、八条宮智仁親王の開城勧告、幽斎の謝絶と『古今集証明状』の進上、勅使(三条西実条・中院通勝・烏丸光広)派遣による講和(9月13日開城)は『舜旧記』『時慶記』等の公家日記で裏付けられる。古今伝授の断絶を恐れた後陽成天皇の勅命という経緯も史実である。