〈池田輝政〉「輝政」は最晩年の名だった
元服後の諱は「照政」。黒田基樹氏の発給文書研究により、照政の署名は慶長12年(1607)閏4月9日まで、輝政は同年7月3日から確認される。姫路城大改修の大半は「照政」として行われた。さらに羽柴名字は関ヶ原の後も慶長16年(1611)末まで使用が確認され、「徳川の婿」の意外な一面を伝える。
元服後の諱は「照政」。黒田基樹氏の発給文書研究により、照政の署名は慶長12年(1607)閏4月9日まで、輝政は同年7月3日から確認される。姫路城大改修の大半は「照政」として行われた。さらに羽柴名字は関ヶ原の後も慶長16年(1611)末まで使用が確認され、「徳川の婿」の意外な一面を伝える。