〈細川忠興〉長男を廃嫡し、次男に切腹を命じた

ガラシャ死去の際に大坂屋敷を脱出した忠隆夫人・千世(前田利家の娘)との離縁を拒んだ長男・忠隆の廃嫡、次男・興秋の出奔(1605)と大坂の陣後の自害(1615)は細川家史料で確認できる。千世離縁の背景には前田家との縁を切る政治判断があったとする見方が有力。「家康が助命を許したのに忠興があえて切腹させた」という話は家記由来で確証はない。

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