〈細川忠興〉ガラシャを味土野に幽閉した

本能寺の変後、玉を丹後山中の味土野に隔離したことは『綿考輯録』とフロイス『日本史』の双方が伝え、ほぼ史実。ただし正式な「離縁」か、謀反人の娘を隠す「別居措置」かは解釈が分かれる。実家に返さず自領に置いたのは、保護と保身を両立させた措置と評価される。約2年後、秀吉の許しを得て呼び戻した。

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