〈三好三人衆〉友通は淀城の堀で、組み討ちの末に死んだ
天正元年(1573)8月2日、羽柴秀吉の調略による内応で孤立し、細川家臣・下津権内と組み合ったまま水中で討ち取られたと伝わる(『細川家記(綿考輯録)』)。戦死自体は『兼見卿記』でも確認できるが、組み討ちの描写は細川家側の記録によるもので、細部には家伝的誇張の可能性がある。
天正元年(1573)8月2日、羽柴秀吉の調略による内応で孤立し、細川家臣・下津権内と組み合ったまま水中で討ち取られたと伝わる(『細川家記(綿考輯録)』)。戦死自体は『兼見卿記』でも確認できるが、組み討ちの描写は細川家側の記録によるもので、細部には家伝的誇張の可能性がある。