〈片倉重長〉道明寺で後藤隊を破り「鬼の小十郎」と呼ばれた
慶長20年(1615)5月6日、片倉隊が後藤基次隊と交戦し撃破したこと、又兵衛がこの戦いで死んだことは徳川方・大坂方双方の記録が一致する。鉄砲の活用も『伊達治家記録』『片倉代々記』にある。ただし「鬼の小十郎」の異名を同時代人が実際に用いた一次史料は確認しにくく、江戸期以降の顕彰(白石の「鬼小十郎まつり」等)を通じて定着した呼称である。武名は史実、異名の成立は後世を含む。
慶長20年(1615)5月6日、片倉隊が後藤基次隊と交戦し撃破したこと、又兵衛がこの戦いで死んだことは徳川方・大坂方双方の記録が一致する。鉄砲の活用も『伊達治家記録』『片倉代々記』にある。ただし「鬼の小十郎」の異名を同時代人が実際に用いた一次史料は確認しにくく、江戸期以降の顕彰(白石の「鬼小十郎まつり」等)を通じて定着した呼称である。武名は史実、異名の成立は後世を含む。