〈成田長親〉「敗けて開けた」のではない

7月5日の小田原開城・北条氏滅亡後も忍城は抵抗を続け、秀吉の求めに応じた当主氏長が城兵を説得して7月16日に開城——この経過は史実。『成田系図』は「退城時の荷物は一人につき馬一頭分」という条件に籠城側が反発し抗戦継続の構えを見せ、秀吉の仲裁で開城したという詳細を伝えるが、同系図のみの所伝。

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