〈細川晴元〉普門寺に幽閉されて死んだ

永禄4年(1561)の和睦後、長慶は摂津富田・普門寺の周囲に堀と土塁を築いて城郭化し(普門寺城)、晴元を監視下に置いた。形式は隠居だが実態は幽閉とするのが研究・自治体解説の共通理解。永禄6年(1563)3月1日同寺で死去。父の仇を殺さなかった長慶の「殺さない」政治の代表例でもある。

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