〈北郷時久〉徹底抗戦を主張し、降伏後は子2人を人質に

九州征伐に際し北郷氏は徹底抗戦を主張して各外城に兵を配置したが、島津義久の降伏を受けて時久も降伏。石田三成と伊集院忠棟を通じて謝罪し、三久・忠頼の2人を人質に旧領を安堵された。人質を条件とする安堵は天正15年5月の豊臣秀吉朱印状(島津義弘宛)に記される、一次史料裏付けのある逸話である。

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