〈南部信直〉晴政の婿養子となったが、実子晴継の誕生で立場を失った
晴政に男子がなく信直が長女婿として嗣子となったこと、元亀元年(1570)頃の晴継誕生後に地位が動揺し、最終的に嗣子の座を退いたことは南部側諸記録が一致して伝える大筋で、史実とみてよい。ただし「廃嫡」の法的手続きがあったわけではなく、正室早世を機に自ら身を引いた形と伝わる。初出は『八戸家伝記』『祐清私記』など近世編纂物。
晴政に男子がなく信直が長女婿として嗣子となったこと、元亀元年(1570)頃の晴継誕生後に地位が動揺し、最終的に嗣子の座を退いたことは南部側諸記録が一致して伝える大筋で、史実とみてよい。ただし「廃嫡」の法的手続きがあったわけではなく、正室早世を機に自ら身を引いた形と伝わる。初出は『八戸家伝記』『祐清私記』など近世編纂物。