〈安芸国虎〉八流の戦いの敗北と家臣の内応
永禄12年(1569)7月の元親侵攻と八流での敗戦は、籠城への参集を呼びかけた「長崎内蔵助宛安芸国虎書状」(現存一次史料)の存在もあり大筋で史実。小谷左近右衛門ら譜代家臣の内応(『安芸家譜略紗』)と一条氏後詰の不着(兼定は伊予方面との抗争で動けず)は複数系統の史料が一致する。漁船に鬨の声を上げさせた奇策は軍記的な彩色が濃い【諸説】。長宗我部元親ページの記述と整合。
永禄12年(1569)7月の元親侵攻と八流での敗戦は、籠城への参集を呼びかけた「長崎内蔵助宛安芸国虎書状」(現存一次史料)の存在もあり大筋で史実。小谷左近右衛門ら譜代家臣の内応(『安芸家譜略紗』)と一条氏後詰の不着(兼定は伊予方面との抗争で動けず)は複数系統の史料が一致する。漁船に鬨の声を上げさせた奇策は軍記的な彩色が濃い【諸説】。長宗我部元親ページの記述と整合。