〈南部晴政〉南部氏最大版図そのもの
永禄11年(1568)の鹿角奪回後、勢力圏が下北半島から北上川中流域(青森県ほぼ全域+岩手県の約3分の2)に及んだこと自体は概ね事実。ただし「戸」の一族連合の緩い勢力圏であり、晴政が一円支配する領国ではなかった。後世のイメージには誇張がある。
永禄11年(1568)の鹿角奪回後、勢力圏が下北半島から北上川中流域(青森県ほぼ全域+岩手県の約3分の2)に及んだこと自体は概ね事実。ただし「戸」の一族連合の緩い勢力圏であり、晴政が一円支配する領国ではなかった。後世のイメージには誇張がある。