〈最上義守〉わずか2歳で最上宗家の家督を相続した
大永2年(1522)、庶流中野氏出身の義守が2歳で第10代当主に。『系図纂要』『最上家譜』等の系譜史料が伝え、背景となる最上義定の死去と伊達稙宗の山形侵攻は「伊達正統世次考」で確認できる。乳幼児の擁立は稙宗の傀儡化政策と村山郡国人層の抵抗との妥協の産物と解される。ただし擁立交渉の細部は後世の編纂物に依る。
大永2年(1522)、庶流中野氏出身の義守が2歳で第10代当主に。『系図纂要』『最上家譜』等の系譜史料が伝え、背景となる最上義定の死去と伊達稙宗の山形侵攻は「伊達正統世次考」で確認できる。乳幼児の擁立は稙宗の傀儡化政策と村山郡国人層の抵抗との妥協の産物と解される。ただし擁立交渉の細部は後世の編纂物に依る。