〈最上義守〉義守の死が、義光の小田原参陣を遅らせた

天正18年(1590)5月18日の義守死去により、義光は父の葬儀のため秀吉の小田原征伐への参陣が大幅に遅れ、改易の危機を徳川家康のとりなしで免れた(『最上家譜』等)。義守は死してなお最上家の運命を揺さぶった。この一件が義光と家康の親密な関係の一因になったとも評される。

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