〈安東実季〉関ヶ原 — 最上義光の讒言

実季が東軍方として小野寺義道の大森城を攻めたこと、戦後に最上義光が「実季は小野寺方と内通」と家康に讒言したことは関係文書で確認できる。背景は、慶長出羽合戦の軍事指揮権をめぐる認識の相違(阿部哲人)や、戦前交渉への遺恨など諸説あり。実季は弁明して嫌疑を晴らしたが、転封の遠因になったとみる見方が強い。初出: 最上義光書状(伊達政宗宛)ほか。研究: 加藤民夫「慶長五年の明暗」、阿部哲人「慶長五年の戦局と最上義光」。

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