里見義弘
さとみ よしひろ 1530〜1578
里見義堯の嫡男として生まれ、父と分担統治を敷きながら対北条戦線の最前線に立った。第二次国府台合戦の大敗で上総の大半を失うも、三船山合戦で北条氏政軍を破って失地を回復。天正5年(1577)に宿敵北条と和睦した翌年、久留里城で急死した。
ゆかりのお城
里見義弘の逸話
- 〈里見義弘〉太田康資の内応と正木信茂の戦死
- 〈里見義弘〉三船山合戦で北条氏政の軍を撃破した
- 〈里見義弘〉越相同盟に反発し、武田信玄と結んだ
- 〈里見義弘〉佐貫城に移り、父と「二頭体制」を敷いた
- 〈里見義弘〉第二次国府台合戦は実は「二度の合戦」だった
- 〈里見義弘〉青岳尼を鎌倉太平寺から「連れ出した」恋物語
- 〈里見義弘〉「安房を義頼に、上総を梅王丸に」の分割遺言
- 〈里見義弘〉里見水軍は江戸湾の制海権を握っていた
- 〈里見義弘〉国府台の大敗は「勝利後の酒宴・油断」が原因
- 〈里見義弘〉謙信の関東管領就任式で太刀持ちを務めた
- 〈里見義弘〉落首を奨励し、民の告発で家臣の不正を処分した
- 〈里見義弘〉『南総里見八犬伝』の「仁義の里見」は義弘の家?