〈里見義弘〉青岳尼を鎌倉太平寺から「連れ出した」恋物語
青岳尼が太平寺住持であり、弘治2年(1556)頃の里見水軍の鎌倉方面攻撃に際して房総へ渡り還俗・結婚したことは、氏康の「不思議の企て」書状、太平寺廃寺の経緯、東慶寺に現存する旧太平寺本尊・聖観音像から裏づけられる史実。だが「幼馴染の初恋」「強引な略奪」は後世の潤色で、実際には青岳尼側の意思による渡海 — 政治的亡命に近い選択 — だった可能性が指摘される(渡邊大門らの論考)。父義明を北条方に討たれた小弓公方遺児と反北条の里見氏、利害は一致していた。