保科正俊
ほしな まさとし 1511〜1593
信濃国高井郡保科郷を名字の地とし、伊那郡高遠周辺を地盤とした国衆。高遠頼継の没落後に武田氏へ臣従し、信濃先方衆120騎持として仕えた。長篠敗戦後は伊那防衛と西上野の二正面で勝頼に頼られ、武田滅亡と天正壬午の乱を生き延びて徳川方へ。文禄2年(1593)、83歳で没したと伝わる。
ほしな まさとし 1511〜1593
信濃国高井郡保科郷を名字の地とし、伊那郡高遠周辺を地盤とした国衆。高遠頼継の没落後に武田氏へ臣従し、信濃先方衆120騎持として仕えた。長篠敗戦後は伊那防衛と西上野の二正面で勝頼に頼られ、武田滅亡と天正壬午の乱を生き延びて徳川方へ。文禄2年(1593)、83歳で没したと伝わる。