〈保科正俊〉「戦国三弾正」の一人

真田幸綱の「攻め弾正」、春日虎綱(高坂昌信)の「逃げ弾正」と並ぶ括り。三人とも弾正系の官途を称した武田方の武将なのは事実だが、「三弾正」の括りは同時代史料になく後世の俗称。当サイトの真田昌幸ページ(「攻め弾正」=後世の俗称)・武田信玄ページ(「逃げ弾正」=後世の呼称)と同一判定。幸綱の砥石城乗っ取り(『高白斎記』)のような実態史料に比べ、正俊の「槍」の裏づけは薄く、三弾正のうち最も伝説性が高い。

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