〈保科正俊〉「在城定書」17か条で息子の後見を託された

天正6年(1578)、三男・内藤昌月の箕輪城代就任に際し、勝頼は昌月・正俊両名宛てに17か条の「在城定書」を発給し、正俊による後見を定めた。『戦国遺文 武田氏編』所収の現存文書で、栗原修氏の論文が詳細に分析。老将の統率力への勝頼の信頼を示す、正俊関係で最も確実な一次史料である(内藤昌月ページと同一判定)。

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