長野業正
ながの なりまさ 1491〜1561
西上野の箕輪城を守り、武田信玄の再三の侵攻を退け続けた名将。「業正がいる限り上野は攻め取れぬ」と信玄に言わしめたと伝わります。
ゆかりのお城
長野業正の逸話
- 業正いる限り
- 〈長野業正〉上杉謙信(長尾景虎)の関東出兵に呼応した
- 〈長野業正〉箕輪城落城は1563年ではなく1566年 — 「1563年没」説の正体
- 〈長野業正〉12人(13人とも)の娘の婚姻で西上野国衆連合を築いた
- 〈長野業正〉河越夜戦に参戦し、長男・吉業が戦傷死した
- 〈長野業正〉剣聖・上泉信綱が業正・業盛父子に仕えた
- 〈長野業正〉小田井原の戦い(1547)で憲政を諫めて参陣を拒んだ
- 〈長野業正〉信玄の6度(9度とも)の箕輪城攻めをすべて撃退した
- 〈長野業正〉信玄の評言「業正がいる限り上野に手は出せない」
- 〈長野業正〉憲政没落後も北条に従わなかった孤高の忠臣
- 〈長野業正〉遺言「葬儀は無用、遺骸は敵に向けて埋めよ」
- 〈長野業正〉真田幸綱を庇護し、去り際に馬まで贈った
- 〈長野業正〉異名「上州の黄斑(虎)」と呼ばれた