〈長野業正〉信玄の評言「業正がいる限り上野に手は出せない」
『信長の野望』の武将解説にも採用された有名な言葉だが、確実な出典を同時代史料に求めることはできず、軍記・後世評伝由来。信玄の本格侵攻自体が業正没後である以上、「業正死後に侵攻が本格化した」という結果から逆算して作られた可能性が高い。ただし天文16年(1547)頃に信玄が業正に内応を誘った形跡があり、武田方が業正を重視していた傍証にはなる。
『信長の野望』の武将解説にも採用された有名な言葉だが、確実な出典を同時代史料に求めることはできず、軍記・後世評伝由来。信玄の本格侵攻自体が業正没後である以上、「業正死後に侵攻が本格化した」という結果から逆算して作られた可能性が高い。ただし天文16年(1547)頃に信玄が業正に内応を誘った形跡があり、武田方が業正を重視していた傍証にはなる。