〈長野業正〉12人(13人とも)の娘の婚姻で西上野国衆連合を築いた

「12人の娘」の典拠は後代の「浜川系図」で、嫁ぎ先の網羅的比定は近藤義雄『箕輪城と長野氏』(1985)等による再構成。全容を同時代史料で確認することはできない。一方、享禄の内乱後の小幡氏との婚姻、「関東幕注文」にうかがえる和田・倉賀野氏らとの連携から、婚姻を軸とする国衆間ネットワークの存在自体は蓋然性が高い。人数とリストは系図伝承として扱うべき。

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