尼子晴久
あまご はるひさ 1514〜1561
祖父・経久の跡を継ぎ、尼子氏の勢力を最大に広げた山陰の大名。月山富田城を本拠に、一時は中国地方の広い範囲を支配しました。
ゆかりのお城
関わった合戦
尼子晴久の逸話
- 七難八苦を願った男
- 〈尼子晴久〉月山富田城で大内義隆の大軍を撃退した
- 〈尼子晴久〉幕府から中国8カ国の守護に補任された
- 〈尼子晴久〉存命中、毛利に石見銀山を奪わせなかった
- 〈尼子晴久〉祖父・経久の傀儡だった/不仲だった
- 〈尼子晴久〉47歳の急死 — 死因は毒殺?
- 〈尼子晴久〉晴久が死んだから尼子は滅んだ
- 〈尼子晴久〉郡山城攻めは「経久の反対を押し切った」無謀な出兵
- 〈尼子晴久〉大叔父・久幸を「臆病野州」と罵った
- 〈尼子晴久〉新宮党粛清は毛利元就の謀略 — vs 晴久主体説
- 〈尼子晴久〉「祖父に劣る凡将」だった
- 〈尼子晴久〉父・政久は笛の音を頼りに狙撃された
- 〈尼子晴久〉元就は晴久の死を惜しみ「一度でいいから旗本同士で戦いたかった」と語った